011闘論は無駄
討論は非常に大切である。
既存のシステムの問題を浮き彫りにさせ、新たなアイデアを生み出し、発展を続けることに貢献するものだ。
私はパーソナリティを重要視しているが、パーソナリティ同士のぶつかりは、それぞれのパーソナリティを進化させる重要なファクターとなるだろう。
しかし闘論は無駄だ。
批判を趣味とする人がいる。批判に対してパーソナリティを傷つけられたと感じ、パーソナリティを守るための反撃を行うという光景がよく見られる。
しかしそれはただの攻撃であり、討論ではなく敵を打ち負かすための闘論である。
闘論はパーソナリティの進化の役に立つことはなく、むしろパーソナリティを強固としたものにし、今後進化するときの妨げとなるだろう。
硬い外骨格は、柔軟性を失わせる。
闘論はするだけエネルギーの無駄であり、時間の無駄である。
死ぬその時までやりたいことをやることが生きること、幸福なことなのだとすると、闘論に時間を割くのは全く持って不幸なことで、遠回し的な自殺行為に他ならない。
喩え自分のパーソナリティを攻撃されたとしても、取り合わず、上を見てやりたいことをやりつづける事が重要だ。